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ARTMUSETAKA

WORKS

1st Album
 
Playing

心地よい時間の流れる1stアルバム。

クラシック、ヒーリング系、自作がちりばめられ、「祈り」と「ゆらめき」の2つの要素が自在に響き合う。

白眉はシューベルトの2曲。

光を振りまきながら自在に動く右手と翳の濃い重く丸みのある左手のブレンドで形作る、メロディをしみじみと歌いながらほの暗さのさす響きは、シューベルト特有の旋律美に潜む闇も映し出す。

とりわけ即興曲の陰陽の交錯は耳に残った。

また淡々と弾き始めて、次第にしっとり目の語り口で心のゆらぎを吐露する「ダニー・ボーイ」、クールなタッチで1音1音抉ったカッチーニの「アヴェ・マリア」は奏者の特徴が全面に表れた内容。

祈りや癒しの感情を込めつつ、それだけにとどまらない寂しさ、苦みが明滅するため、聴いた時の聴き手の心のありようによって、全く異なる反応、想像が呼び覚まされる。

一方ヒーリング系楽曲においては瑞々しさのあるカラッとした澄んだ音色を紡ぎ、音楽が流れる場所の空気に清涼感をもたらす。

2曲の自作はクラシックの初期ロマン派の雰囲気を軸にヒーリング系の要素を交えたスタイル。

前述した右手と左手の魅力が生きる楽曲構成となっている。

アルバムの締め括る「光」は3つの要素が6分間に盛り込まれた密度の濃い作品。

冒頭は夜空に月や星が深々と放つ光、続いてSound Effectが入って白み始めて日の出、そして太陽のもと明るくなった青い空の拡がりと鮮やかに展開する

朝にでも聴けば心がまっさらになる佳品。

アルバムの最初の曲「めぐり逢い」(アンドレ・ギャニオン)と響き合う要素もあって、1枚のアルバムとしての調和が浮かび上がってくる。(中川 直)

メロディと詞に宿る作り手の魂、心象風景をピアノでカラフルに歌わせ、聴き手と音楽の新たな出逢いのハーモニーが生まれるアルバム。

最初の2曲は歌うたいのバラッド(斉藤和義)と瞳はダイヤモンド(松田聖子)、平成‐昭和の叙情派名曲。

音の粒のきれいな高音、ほのかに暗みの差す低音のブレンドが巧みで両曲の質感、色香の違いをくっきり描きつつ、静かな響き合いも垣間見せる。

この楽曲配列が醸し出す対照性と繋がりはアルバム全体を通じて流れる通奏低音で、聴き手は時々の心境に応じて最初から、途中から、好みの曲をピックアップと多様な味わい方が可能となっている。

アルバム中盤以降の収録曲でインパクトが強いのは「抱きしめたい」(Mr.Children)、「人魚」(Nokko)、「難破船」(加藤登紀子)、「ありあまる富」(椎名林檎)。

「抱きしめたい」はサビに向けてのしめやかなタッチ、サビでのたっぷりした歌い込み、締めの優しい表情。

リズムの処理が明瞭で潤いのある響きを形作り、聴き手を静々と癒す「人魚」、歌い手の陰影の濃い詩心をピアノで切々と描いた感銘の深い「難破船」。

そしてメロディの美しさを光沢のある高音でシンプルに奏でた「ありあまる富」。

それぞれ見事で聴いていると楽曲に織り込まれたひとの心の明暗悲喜が風景画のように浮かび上がる。

冒頭と終わりに平成の名曲を配してアルバム全体にひとつのアーチが掛かり、心の季節がひとめぐりする趣。

いずれの曲も単にメロディをなぞって終わりではなく、内声からの語りかけが豊かで音と音の間から叙情味がにじむ演奏内容。

本アルバムは6枚にわたるシリーズの劈頭を飾るもの。

1枚での高い音楽的完成度を備えると同時に、その余韻が次の1枚への扉も開けてくれる。(中川 直)

「RECONNECTION」シリーズSEASON2はピアノで多様な「洋楽」の世界に向き合い、それぞれの楽曲の宿す魂の遍歴を呼び覚ましたアルバム。
単なるシリーズ第2弾にとどまらない、奏者が新しい音世界を拓き、光陰のパレットの豊かさを存分に発揮している。

楽曲配列に配慮がなされ、通して聴く、シャッフル、数曲をピックアップするなど時々の聴き手の気持ちに合わせて浸れる。

アルバム全体は「詩情」「洒脱」「祈りと光」の3つの顔を持つ。
最初の4曲は「詩情」。
ひっそりと煌めく「ローズ」は聴き手への優しいささやき。
続く2曲のカーペンターズは「雨の日と月曜日は」をカラっとカリフォルニアの風が吹き抜ける一方、「青春の輝き」では朗々とした音で歌の翼が飛翔する。
イーグルス「デスペラード」に移ると音の震えがじわじわと立ち昇り、痛みを秘めた叙情性が浮かぶ。

次の「マイウェイ」からの3曲は「洒脱」。
持ち味の透明かつ丸みのあるタッチが活き た心和む語り口の妙が味わえる。
楽曲の素晴らしさを意識しすぎるあまり、力んで重くなりがちな「マイウェイ」を見通しのいい柔らかいタッチでしなやかに弾き進めたのが大成功で、連なる「ヒーロー」や「アメイジンググレイス」と美しい調和を奏でる。

ラストの4曲は「祈りと光」。
エンヤの「MAY IT BE」、ケルティック・ウーマンの「ユーレイズミーアップ」は静謐なタッチで荒涼たる風景に宿る音の精霊を響かせる。
アラン・メンケンの「SOME DAY」はしっとりした歌心が快い。
そして締め括りのセリーヌ・ディオンの「ALL BY MYSELF」では全ての抑制から解き放たれ、光とロマンが燦々と降り注ぐ。
ラフマニノフのエコーが響く歌でアルバムを閉じたのは次なる展開への前奏曲だろうか。(中川 直)

RECONNECTIONシリーズSEASON3はクラシック。

バロックと古典、ロマン派、近現代の3部構成でそれぞれの方向から聴き手の心を和らげ、魂に語り掛ける歌が拡がる。

 

最初の4曲、バロックと古典は出発から飛翔。

バッハ、ヘンデルの2曲はゆったり散歩しながら風景を愛でる。

モーツァルトへ移ると深緑の森を抜ける道にさしかかり、胸のすく気持ち良さの中に少し寂しい色が漂う。

次のベートーヴェンで聴き手は幻想の世界に誘われる。

人間同士の触れ合いの積み重なりがいつしか満天の星空の夜に展開する一つの物語となり、受けとめる各人各様が様々な想像をめぐらし、非日常を体感する。

 

続く4曲、ロマン派の世界は一転して自身との対話。

シューベルトの親和的な旋律に潜む妖しい暗さ、メンデルスゾーンの移ろいやすい詩情、ショパンのノクターンの夢や葛藤、そしてリストの愛と神秘・・・多面的な色彩に触れながら、人生の機微とじっくり向き合う時間が流れる。

締め括りの3曲の近現代は日常を生きる糧。

エルガーの決して小器用ではない、むしろ朴訥と言える展開から少しずつ雄大な音楽が生まれ出るさまは、ひとりひとりの魂を優しく勇気づけ、明日への一歩に繋がる。

プーランクの即興曲は対照的に洒脱で苦み走った内容をシャープにとらえており、一筋縄ではいかない日々の営みとそれを変に沈まずにあえて肯定したおしゃれさが聴き手にチクっときて、「人生悪くないかな」と思わせる。

ラストのペルトは極限まで削り込んだ音世界に無限ともいえる色彩、陰陽光翳を反映させた音楽。

ひとつひとつの音が身体を潜り抜けるとき、澱が浄化され、新たな時間に向かうまっさらな心が蘇る。

曲ごと、部分ごとに聴いても感銘の深いアルバムだが通して浸ると芯から癒されると同時に次なる音世界への期待で心躍るだろう。

RECONNECTIONシリーズ4はオリジナル作品主体のヒーリングミュージック。

津田崇博は作曲も行ういわばコンポーザーピアニストであり、自作曲はコンサートの大事な要素を成してきた。

作風は初期ロマン派風のシンプルなメロディラインにフランス近代のカラフルさを加味したもので現代のひとの心身を解きほぐし、魂の洗濯になる音楽として聴衆から支持されている。

 

今回は自作10曲にボーナストラックでS.E.N.S.の曲を収録した中身の濃い内容。

本アルバムも3部構成のスタイルをとっている。

 

冒頭3曲は自然からの癒しの時間。

流麗で澄んだ音の連なりが森の描写、変化する空の色、風の流れといった要素に感じられて聴き手の内側と空間を満たす。

朝の時間にはこの部分がぴったりきそう。

 

続く5曲は若干シリアスな音世界が拡がるナンバーが並ぶ。

自己の内面とじっくり向き合いつつ、明日への1ページをめくる一助となる音楽。

言ってみれば「沈潜する癒し」。

なかでも鐘、秋雨、追憶から成り立つ「3つの小品」はラフマニノフなどクラシックの名曲を基礎に楽想を膨らませた佳品で聴き手の心を包み込む。

1日の仕事を終えた夜、しんと静まった部屋で聴けば、頭がほぐれて気分よく休める音楽。

 

ラストの2曲は愛と再生。人生行路には幾多の場面で挫折や思うようにかみ合わない事柄が立ちふさがる。

そこから再び踏み出す時に原動力となるのは有形無形、様々なものに対する愛情だろう。

「叶わぬ想い」と「RECONNECTION-愛-」にはそうした要素がしっとりと歌われ、魂の再覚醒を感じさせる。

ここまで4つのシーズンを重ねたアルバムのハイライトと言える瞬間。

ボーナストラックのS.E.N.S.は優しいエピローグ。

次のSEASONの音の万華鏡はどんな世界を覗けるだろうか。

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